お知らせ, 日本寺 駐在記

<駐在僧便り>コレシュリー参拝記

日本寺駐在僧 伊佐榮祥


今回のコレシュリー参拝にあたり、この聖地がいかなる由来があるのかご理解いただく為に先ずはキーマンとなるアティーシャ尊者に言及したい。我々の巡礼の動機となった人物である。

「アティーシャ」
10世紀から11世紀にかけて活躍したベンガル人の僧侶、「この壊滅を以ってインド仏教の終焉」とされたヴィクラマシーラ密教僧院の最後の僧院長を務めた人物。
若くしてヒンドゥー教のタントラを修め、ナーランダー僧院で得度し唯識派・中観派の法脈を学びスマトラ島にも留学。その師は150人にも及ぶという。
その功績は、5世紀頃より求心力を失った仏教が復興を求めてヒンドゥーの神々をはじめ土着の宗教や、各地で尊ばれていた神をも垂迹的に包摂して諸尊配置の壮大なパンテオンを作り上げながら現世的利益福徳や宗教儀礼・ムドラを形成していく中で、形骸化していった密教をアティーシャが最終的に上座部・大乗・金剛乗を包括した9段階のタントラとして完成し、それまで個々の主格位置付けだった密教世界を立体的かつ系統的な関係を明らかにし、それぞれに入我我入する次第を実践・次第化したことである。つまり形骸化していた後期密教に仏教として理論的裏付けを行い、密教者は「自己完成」・「慈悲と波羅蜜」・「修法自在」が一体となる顕密兼修の総合完成者でなければならないという立場を明確に表した。その後、仏密教の総本山と目されていたヴィクラマシーラ僧院は炎上壊滅し、その後の密教次第の展開は認められないため、アティーシャはインドにおける仏密教の完成者と言える。
そのアティーシャがナーランダー僧院での勉強を終え、招請を受けているヴィクラマシーラ僧院に赴く前に、初めて護摩壇を築きブッダガヤの方向に対座(北面南座)して護摩を修したのが、コレシュリーである。何故アティーシャがコレシュリーに赴いたのか。チベット仏典「ラムリム・チェンボ」仏伝部にヴィシュヌがガヤに於いて神変した故事に倣い、釈尊もヴィシュヌパド寺院(ヴィシュヌが神変したとされる場所)のバニヤン樹下で自度剃髪出家をした。アティーシャもこれに倣い、ヴィシュヌが神変した後に7歩でバラナシへ達した道筋の第1歩目を踏んだとされる聖地であるコレシュリーに、ブッダガヤからサルナートへ向かう道程として立ち寄ったとあるという。その為、今日でもチベット仏教徒の巡礼者が絶えない。


私が駐在僧として赴任した時にその話を聞き、奇しくも今回2人の真言宗の僧侶が赴任していることもあり、密教行者の端くれとして是非その場所へ行きたいと思い今回のコレシュリー参拝に至った。
日本寺のあるブッダガヤから直線距離で30Km、道程85㎞のところにあるコレシュリーは標高1750ft。ヒンドゥー教と仏教とジャイナ教の聖地となっている。

先述した通り、ヒンドゥー教に於いてはヴェーダの時代からの巡礼地になっており、この場所はマハー・バーラタやプラーナ文献にも言及されている。
山頂に祀られているコレシュリー・デーヴィはマザー・コレシュリーと呼ばれ、カーリー寺院の中でも重要とされており、男女問わず子供は通過儀礼として髪を剃り、女性は結婚や妊娠の為に、男性は6歳・15歳までの成人感謝、また結婚後は子供や妻のために礼拝を捧げる。

我々は灼熱の太陽を避けるため朝の勤行が終わってすぐに車で日本寺を出立し、山麓までは約1時間と意外に早く到着。麓は土産屋やレストランが立ち並び、巡礼者で賑わっていた。その多くは山羊を連れており、コレシュリー・デーヴィ(女神)への捧げ物として山頂へと連れて行くのだそうだ。かつては山頂で山羊をシメていたが現在は連れて帰って山羊カレーとなる。確かに、山を降りてくる人々と山羊の額には神に祈りを捧げた印の「ティーカ」が塗られている。

登山自体は3回ほど休憩を挟んでも1時間程で山頂に至る。とはいえ、休憩を挟みたくなるような勾配の階段が続き、山中では汲んできた水を既にコップに入れて1杯10ルピーで売るという、さすがインド的な逞しい人々を息を切らせながら横目に通り過ぎ、休憩時に振り返ればもう既に中々の絶景になっている。
山頂に着くと驚くことに山の上とは思えないほど大勢の巡礼の人と山羊、供物を売る店やお土産店で賑わっており、バザールの様相を呈している。その中を通り抜けると全長約100m横25m程のカルデラ湖が出現し、多くの人が沐浴をしていた。宗教儀礼に篤い人々に感銘を受けつつ湖のほとりを歩いていると早速仏足石と思しき岩を発見する。仏教の片鱗に出会えたことに高揚を覚えながらもお鉢を巡り、富士山で言うところの剣ヶ峰を目指す。

山頂に於いてひと際そびえ立つ岩の頂を目指しながら岩肌を登って行くとタルチョがはためいているのが見えてくる。ヒンドゥーゾーンから仏教ゾーンへと移り変わっていく様だ。途中、バラモンに手招きされて靴を脱ぎ、胎内くぐりの様な岩の折り重なった隙間を跼みながら進むと10体の仏像が彫ってある岩に出会う。その更に奥には5体ずつの仏像と裸の仏陀、つまりマハーヴィーラの像が一緒に彫られている。かなり珍しい光景だと思うが、仏教とジャイナ教の聖地である証だとバラモンは言う。
そこから更に岩肌を登ると漸く今回の目的地アティーシャが護摩壇を築いた岩の上に辿り着く。そこには四方結界の鑓羯磨を打ち込んだ跡があった。そこからブッダガヤへの遠大な景色を眺めつつ、古えの偉大な先達に思いを馳せる。千年昔と変わらぬであろう風に吹かれながらしばし御法楽をあげて我々の巡礼の目的は果たされた。
眼下に湛える山頂の湖は雨水なのだそうだ。ニーランジャナ川ですら枯れているこの乾季において、一年中枯れることのない湖が山頂にあることは太古の人々にとっても現代に於いても、宗教の分類など関係なく十分に聖地たり得る山であることが解る。もちろん帰路にはミーハーな日本人宜しくヒンドゥー教の儀式に参加して額にしっかりと「ティーカ」をつけて帰ってきたのは言うまでもない。

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